3月12日(木)
7時起床。
昨晩からかなりの揺れで寝ている間に何回も体を打ちつけられたような気がする。あまりよく眠れていない気がする。早朝ほどではないが、まだかなりの揺れが続いている。
Sさんは相変わらず食事が喉を通らないらしく部屋から出てこない。朝食後は、Tさん、Mさんと3人でブリッジへ。
ブリッジに来ると海の荒れ方を実感できる。父島〜母島航路の時と同様、舳が沈み込んだ後にブリッジまで波をかぶって前が見えなくなっていた。ただ、「ははじま丸」に比べると本船ははるかに大きいため、木の葉のように動揺してしまうことはなく、乗っていて安心感が全然違う。天気がよいので、海の色がとても美しい。
ログブック(航海日誌)を見せてもらうと、今日の未明の波高は4.5mになっていた。傾斜計をみると左右に20度以上になっていた(黒い針が現在の傾斜を示し、赤い針は航海中の最大の傾きを示している、直近でいつリセットしたのかは分からないなので、いつ頃の最大傾斜かは不明。ちなみに東京湾に入る頃はもうリセットされていた。)。
ようやく八丈島が見えてきた。帰りは航海中の仕事がほとんどないので長く感じるなあ。一旦降橋して、船室に戻る。かなり疲れがたまっているので、部屋でしばらくのんびりする。
昼前にブリッジへ。一昨日(10日)に大島海域で外国籍船同士の衝突事故で沈没した関係で、海保の巡視艇が捜索をしていた。写真を撮るために久々に甲板に出てみるともう南国の気温ではなくなっていた。また冬に舞い戻りだ…。この瞬間、小笠原での夢のような生活が終わったことを思い知らされた。

13時頃にようやく大島が見えてきた。これだったら15時くらいには竹芝に着きそうな感じがするが、東京湾は速度制限もかかるので時間がかかるのだろう。スケジュールでは15時半到着だが、昨晩からの天候で既に1時間遅れのペースらしい(>_<)。
14時頃、東京湾の入口まで戻ってきて、14時半ごろ浦賀水道航路
※に入る。浦賀水道は北航レーンが早朝、南航レーンが夕方にラッシュを迎える。父島を出てから大島あたりまで来るまでは、船影すら見ることはなかったので、比較的すいている時間帯とはいえ、混雑状態にあるように見えてしまう。
※( ..)φメモメモ
東京湾内は日本有数の船舶の輻輳海域で非常に事故が多い。そのため、海上安全交通法により「浦賀水道航路」と「中ノ瀬航路」が設定されている。「浦賀水道航路」は右側通航の北航レーンと南航レーンとに分離されていて、長さ50m以上の船舶は12ノット以下の速力で航路内を航行しなければならないなど東京湾内の航行のルールが決められている。第二海堡を交わして変針すると北航の一方通航の「中ノ瀬航路」に入る。


浦賀水道航路を抜けて、中ノ瀬航路へ変針。

その後も、台船を曳航している船や土砂運搬船などが数多くいてブリッジ内も慌ただしくなる。

いよいよ東京港へ。入港スタンバイがかかり、各配置につく。
ついに東京レインボーブリッジだ。あー、帰ってきてしまった。長い航海だったにもかかわらず、船に乗っているのが名残惜しくなってきた。

1時間遅れの16時30分に竹芝桟橋に着桟。帰りは26時間半だ(+o+)。
下船の状況をみる。
船長に対して今回の監査の結果について講評。17時ちょっと前に下船。
電車を乗り継いで、18時半頃に帰宅。疲れ切っているはずなのに、妙にテンションがハイだったので夜も比較的元気だった。明日は代休なので、十分に休養をとろう。
今回の出張は一生の思い出に残るだろう。こういう風に書いていると「ホントに仕事して来たんか?」と言われてしまいそうだが、あくまでも、本文では仕事の話はかなり端折っているのでお間違えなきよう。この6日間、仕事もかなりこなしたからこそ、充実感があるのだと思う(上海の時と比べると仕事の密度ははるかに濃かったはず!)
<了>