”大海原に抱かれて” in Ogasawara

3月8日(日)


7時起床。

早くも蒸し暑くなってきた。相変わらず揺れはあるもののさほどでもない。

7時半に船内レストランへ。「おがさわら丸が到着した日は、食材がなくて飲食店は開いていない」と出発前に聞かされていたので、食べ貯めをしておかないとと思って、山ほど取ってしまい、朝食なのに千円超…。食べすぎだ…。

食後、ブリッジに行く。あまり天気が良くない。GPSを見てみるとようやく鳥島のちょっと手前。


天候のせいか、少し予定よりも遅れ気味らしい。あまりブリッジにいても邪魔になるので、自室に戻る。部屋にいても仕方がないので、甲板に出て写真を何枚か撮っていた。


急に乗客の若者に話しかけられた。現地の天気がどうかとか本船の設備について聞いてくる。明らかに本船の乗組員と間違えられているよ…。作業着を着ているからだ。常識で考えれば、航海中に乗組員が甲板上で暢気に写真など撮っているわけもないんだけど、最近、乗客がこういうのを投書することも十分ありうるから、これはマズイと思って、すぐに「私、本船の乗組員じゃないんですよ」と言うと、彼は残念そうに「乗組員の方とお話したかったんですよねえ」って言っていた。

本船はブリッジの見学ツアーを催していたので、申し込めばいいのになあ。ブリッジにはなかなか一般の方が入れる機会はないから、とてもよい企画だと思う。乗船される方は是非ともおススメ!小笠原海運にご迷惑になるといけないので、これ以降、作業着を着たまま無暗に甲板に出るのは控えることにした。外を見に行けないのもつらいな…。

11時頃になって、再度ブリッジへ。天気が回復してきて、夏の日差しが降り注いでいる。海の色もきれいなオーシャンブルーになってきた。そういえば、今日は36歳の誕生日だった。当初は、よりにもよって誕生日に出張なんてと思っていたけど、結果的にはすばらしい「プレゼント」をもらえたなあ。


この頃、ようやく小笠原諸島の最北部にあたる聟島(ケータ島)列島が見えてきた。

昨日の午後に見た三宅島・御蔵島以来の陸地だ(八丈島沖を通過したのは昨日の日没後)。陸地が近付いてきたので、海鳥が本船の周りを飛ぶようになってきていた。

ついに父島が…、乗組員の方々も各配置につく。いよいよだ。


二見港が見えてきた。隣の岸壁には、母島行の伊豆諸島開発鰍ェ運航する「ははじま丸」が着岸している。本船との乗り換え接続しているので、このまま母島へすぐに向かう人もかなりいるようだ。船内放送では、「母島の宿泊施設は満室なので、宿の予約がとれていないお客様は母島行の船にはご乗船できません」と言っていた。今日は母島から帰ってくる便はないから、宿がないと野宿になってしまう。ちなみに小笠原諸島ではキャンプは禁止されている。それにしてもこの時期にして満室かよ。小笠原の人気はすごいね。


天気予報では降水確率が高いようなことを言っていたが、抜けるような青空に迎えられ、30分遅れの12時に父島到着。船内でちょこちょこと仕事があったせいか、意外と26時間は長く感じずに過ごせたかな。船酔いもしなかったし。

気温は25度くらい、南国の強い日差しが降り注いでいるが、気持ちのよい風が吹き抜けている。


また乗客の下船の様子や荷役の様子を見るために展望デッキへ。


後で聞いた話では、最近はオンラインショップを活用している人も多いらしく、イオンのお客様感謝デーなどの直後の便には、その荷物がかなりコンテナに入っているとのこと。

岸壁では数多くの人がお出迎えしていた。ダイビングショップや宿の方などが多いのだろう。またスティール・パンで南国風の音楽を奏でている人たちもいる。すばらしい歓迎ムード、第一印象バッチリ!!まあ、たしかに本船は生活物資や島にお金を落としてくれる観光客を運送してきてくれるんだから、そりゃあ歓迎してくれるだろうなとは思うけど、やっぱりこういう歓迎って島ならではという気がする。いいねえ。


私達は島の宿の宿泊ではなく、ホテルシップ(おがさわら丸は父島停泊中の3日間はホテル仕様になる)に宿泊することになっていたので、荷物を船内で預かって頂き、下船する。

すぐに隣の岸壁に移動して、12時半に出港する「ははじま丸」を見送ることにした。


今日はこの後はフリーだったので、とりあえず4人で散歩に出ることにした。「湾岸通り」と「ボニン通り」(通称:父島銀座)に店が集中しているようだ。道端ではパパイヤの木やハイビスカスの花を普通に目にできる。改めて南国を実感。


飲食店は普通にランチの営業している。なんだよー、無理して朝食にたくさん食べる必要なかったんだ…。その中で湾岸通りに面したウッディ調の雰囲気のあるお店があり、そこに入ることにした。お店の名前は「Bonina」。


小笠原諸島の英語名は「Bonin Islands」というのだが、これは、江戸時代の日本では小笠原諸島を無人島を意味する「ぶにんじま」と呼んでいて、それが欧米に伝わり、「Bonin Islands」と呼ばれるようになった。おそらく店名はそれに由来するのだろう。

「ポキ丼」というのを注文する。「ポキ」というのはハワイ語で刺身を意味するらしく、要は、ご飯に刺身、その上にネギと海藻とウズラの卵がのった丼物だ。刺身はごま油と醤油で味付けしてあり、それが海藻とネギとマッチしている。美味しい!食後にパッションジュースを飲む。キウイの種を大きくしたようなパッションの種が入っている甘酸っぱいジュースだ。これもさっぱりしていて美味しい。


あとで聞いた話では、お店の女主人は、南洋踊りで有名な方らしい。父島と母島合わせて人口が2,500人程度でそのうち300人が南洋踊りの歌と踊りをやっているものらしい。大神山公園で8月下旬から9月初旬にかけて夜に催すお祭りで大々的にこの踊りが披露されるようだ。これも見てみたかったなあ。店内のTVにその模様が映されていた。

その後、ホテルシップのチェックインまで時間があったので、一人で大神山神社へ行く。


神社の先にさらに階段が続いていて、二見港を望める展望台になっていた。


展望台にいたら、急に雨がザアーと降ってきた。大急ぎで下まで降りると雨が止んでいた。単なるスコールかとおもって、港の青灯台を見ていたら、急にひんやりした風が山から吹き下ろしてきた。空に黒い雲が立ち込めてきて、本降りの雨が降り始めたので、急いで「おがさわら丸」に戻る。寒冷前線通過を肌で感じた瞬間だった。

小笠原の天気は変わりやすいらしく、朝どんなによい天気でも、いつ雨が降り出すか分からないので、洗濯物を干しっぱなしで出かけることはできないそうだ。
 ←二見港青灯台

ホテルシップの用意ができたということで、荷物を移動させる。宿泊客がそんなに多くなかったようで、今度は特等室に一人で入れた。部屋は船内とは思えない、ホテルの一室のようだ。


雨がなかなか止まないので、しばらく部屋で長い船旅の疲れを癒すことにした。

夕方になって、雨が止んだので、湾岸通り、ボニン通り沿いのお店を見ながら一人で散歩。
 ←湾岸通り  ←ボニン通り
 ←聖ジョージ教会

夕飯は、Tさん、Mさんと「波食波食(ぱくぱく)」というお店に入って、私は島豆腐のチャンプルセットを食べる。


「おがさわら丸」に20時過ぎには戻り、23時半に就寝。