3月11日(水)
7時起床。
ホテルシップは今日でおしまい。3泊朝食付きにしたのだが、朝食は日替わりでバラエティに富んでいた。部屋もホテルの一室と変わらず快適に過ごせた。ただ、何故かテレビの主電源をつけたまま電源OFFにしていると勝手にテレビがついたり消えたりする、私は全く霊感はないので何も感じないけど、ちょっと怖いな…。
朝食後、行きと同じ1等客室へ引っ越し。特等室には冷蔵庫があったので、プチトマトを入れておけたのだが、1等客室には冷蔵庫がないから、パーサーにお願いして竹芝に到着するまで冷蔵庫に入れておいて頂くことになった。
今日は出港前までは特に仕事はないので、4人で散歩に出かけることに。今までで一番天気がよく、陽ざしもかなり強い。
昨日は強風のためボートは出せなかっただろうから、昨日の分を取り返すかのようにボートが次々と出ていく。また同様に悪天候のため入港できなかった「にっぽん丸」も早朝に入港してきたようで、港は大勢の人で賑わっている。


←にっぽん丸

←にっぽん丸の乗客の受付


↑大村海岸(二見港のすぐ隣)

←大神山公園
ウミガメの赤ちゃんは生まれてすぐに明るい方へ向かって進んでいく習性がある(陸側が暗いと海面は明るく見える)が、人工的な照明があるとウミガメが進む方向を間違えてしまうらしい。過去に夏のお祭りの真っ最中この公園に接している大村海岸でアオウミガメの出産が始まったことがあったそうで、急遽、お祭りを中止してウミガメの無事の出産を見守ったとのこと。
それでもやはり、湾岸通りの方が海よりもはるかに明るいので、道路に出てきてしまって車に轢かれてしまうということも残念ながら度々起きているようだ。
また、護岸工事が進んでいて、砂浜がコンクリートになってしまっているところもあることから、10年くらい前に父島で生まれたカメは、生まれた所に帰ってきたのに砂浜がなくなってしまい、迷子になって生活排水が流れている川を遡っているの目撃されることもあるそうだ。

↑湾岸通り沿いにある島内で一番きれいな店・ペンションが並ぶ一角

↑聖ジョージ教会:20世紀初頭に創立されたが、太平洋戦争で焼失、日本に返還された年の1968年に再建。

島に2つしかないガソリンスタンドのうちの一つ。小笠原のガソリンは輸送コストが上乗せされているから当然ではあるが、3月現在で235円/リットルとかなり高い、首都圏で200円の大台にのりそうだった頃は300円台になりそうだったとのこと。車関連でいえば、島内には自動車整備工場が一つしかなくガリバー状態。修理代が法外だとか…。
街の外れが三日月山展望台への上がり口になっている。昨日の船の疲れがたまっているのか、上り坂がかなりつらいなあ…。


←ガジュマルの木

←サンセべリア(トラノオ)
小笠原諸島は太平洋戦争時には島全体が要塞化されていた。そのため、戦跡めぐりのツアーなどもあり、”板長”という戦跡ガイドがいらっしゃるそうだ。そういえば、「おがさわら丸」で二見港に入ってくる時に、右舷側の陸地に銃眼・砲眼が見えたし、到着日に一人で行った大神山神社の上にあった展望台も砲台跡だった。
三日月山への上り坂の途中には、大村第二砲台の弾薬庫、砲座、兵舎跡などがあった。

←木々にまぎれている弾薬庫
30分くらい歩いて展望台へ。先日来た時よりも天気がよいので、海はより青く見える。まだ若干波が立っているが、クジラが出てくれば分かりやすそうだ。今日もクジラ出没地点を双眼鏡で見ている女の子がいる。



ここは、島の最西端になるので、きれいなサンセットを見ることができる場所だそうだ。太陽が海に沈む瞬間、水平線に走る一筋の緑色の光、これがグリーンフラッシュ(緑閃光)。一定の条件(雲ひとつない空と長い水平線)が整ったときに稀にみることができる。この現象は瞬きするほどのごく短い時間しか続かない、だからこそ、この光を見たものは幸せになれるという伝説があるようだ。これを見るために再三ここに足を運ぶ人がいるとのこと。
時々、クジラの背びれが見えたり、潮吹きが見えたりするが、どれも陸から遠いところなので、芥子粒のような大きさでしか見えない。じっと見ていると、日差しが強いこともあり、目が痛くなってくる。サングラスかキャップを持ってくればよかったな。↓これじゃあなんだか分からないでしょう…。
中心街まで降りてから、小笠原ビジターセンターへ行く。これって、ホントは最初に行くべきところだよなあ。近くにブーゲンビリアも咲いていた。

仕事の関係上、13時までには「おがさわら丸」に戻る必要があったので、少し時間が早かったが、昼食をとることにした。「Holizon Dream」というお店で港から近く立地がよい。手作りのパンやケーキやジャムを作っている。ジャムはJAにもたくさん卸していた。
イタリアン風の鶏料理を食べる。これは内地のものだろうな。でもとても美味しかった。手作りらしきパンはモチモチの食感で私好みではなかった。

船に乗る前に、昨日薦められた「にっぽん丸」の乗客用に青灯台前で催している南洋踊りを見に行く。これは正直言ってちょっと期待外れだったなあ。

「おがさわら丸」に戻って、作業着に着替えてブリッジへ。見送りの人で桟橋はごった返している。入港した時はスティール・パンで歓迎してくれたが、今度は和太鼓でお見送り。

今日は小笠原高校を卒業した子が3名内地へ旅立つようで、総出でお見送りに来ていた。これは毎年3月に見られる感動的なものらしい。この時点では単にみんながお見送りに来てくれる程度のものだろうと思っていた。

いよいよ出港。「頑張ってこいよー」、「すぐに帰ってくるなよー」、「○○さん、また来てくださいねえ」、「また夏にお会いましょう」とお見送りの人々が口々に叫んでいる。汽笛を数回高々と吹鳴して定刻の14時に離岸。「おがさわら丸」が出港してしまうと、島は静かになるんだろうな。お店も出港日や出港翌日はお休みのところが多いようだ。

出港すると、ダイビングショップなどのボートが何隻も「おがさわら丸」の後ろからついてくる。その中に小笠原高校の男子を乗せたボート、女子を乗せたボートがひときわ目立っている。みんな順番に旅立つ友人の名前を叫んでいる子もいれば、応援団のように腰に手を当てて体を反らせて「旅立ちの応援」をしている子もいる。第三者の私達でもウルウルきそうな感動的なお見送り、きっと本人にとっては一生忘れられない大切な思い出になることだろう。
この旅立ちの儀式の時は、ダイビングショップの計らいで、見送りの高校生達は無料でボートに乗せてもらえるそうだ。その他のボートもダイビングやホエールウォッチングで来てくれたお客さんのお見送りのために並走している。
本船のスピードに合わせて走っている上に、本船の航送波の影響でかなり飛びはねている。普通の人では乗っていられないような状態のはずだが、さすがに地元の人、慣れたものだ。


せいぜい並走してくるのは港の入口くらいまでかと思ったら、港を出てからもかなり長いこと追いかけてくる。最後は決まって、停止させるか速度を落としてお見送りの人が海に飛び込む。これは出港の度にやっているようで、たしかに危険は危険なので、小笠原海上保安署からの指導で少なくとも「おがさわら丸」の前には出ないようにと言われているそうだ。
そんな興奮も冷めやらぬうちに、今度はクジラが見えると言われて急いでブリッジに戻る。船内放送で右舷前方にクジラの親子が見える流れるとブリッジのすぐ下の甲板に人が続々と集まり始めた。カメラを構えて、今度こそ撮るぞと思っていたら、クジラが顔全体を外に出した。たしかにクジラが口をあけているのを見た。あまりのことにあっけにとられてしまい、シャッターチャンスを逃した。まだまだダメだなあ…。どうやら、親子で泳いでいたクジラだったようで、顔を出したのは子供のクジラだった。
ブリッジは目線が高くなるので、ホエール・ウォッチングのボートよりもむしろよく見えるらしい。結局、写真に収められたのはこの程度…。子供のように興奮してしまった。
最後にクジラのお見送りのおまけまでついて、素晴らしい思い出になった。また来たくなるのはよく分かる。航海時間1日以上という難儀を忘れてしまうほどだ。それだけの魅力がある!!
今回は仕事だから仕方ないが、ホエール・ウォッチングに行けなかったこと、南島に行けなかったことが実に悔やまれる。少なくとも、よりにもよってこのタイミングで「にっぽん丸」が来なければ、最終日の午前中にボートの予約をして、見に行くことはできただろうに…。このためだけにいつかもう一度小笠原を訪れたいと思う。
17時くらいから甲板に出て、サンセットの写真を撮ろうとしばらく外でしばらくたそがれる。今回は私服で。そろそろ現実の生活に戻らなくてはならないので、ゆっくりとクールダウン。

それから次第に揺れがひどくなり、波が甲板を洗うようになってきたので、間もなく水密扉が閉められて、このまま東京湾に入るまで甲板に出ることができなくなってしまった。
Sさんはまた気分が悪いらしく、夕飯も受け付けないそうだ。夕飯は中華。




沖縄に行った時などは、あまり美味しいものに巡り合えなかったので、今回も食事に期待していなかったが、今回の一連の食事は概ね美味しかった。食事は旅行先に選ぶときに重要なファクターだから、それも今回は大きなポジティブポイントだった。
夜は同室のMさんと午前1時くらいまで話し込んでしまう。すごく眠かったはずなのに…。きっとMさんはもっと早く寝たかっただろうに、私が付き合わせてしまったような感じだったm(__)m。