この頃には、大げさかもしれませんが、私の中では、人生の再起とプライドをかけた
”絶対に負けられない闘い”となっていました。大真面目にそう思っていました。落ちたら病気は悪化するのではないかという強迫観念もありました。今から考えると何というリスキーなことをしていたんだろうと思います。
日々の生活は、徐々に家事をかーやんにシフトして、私は夕飯の用意と片づけだけはして(わずかな時間でも惜しくなってきたこの時期、でも料理を作ることは私にとって大きなストレス解消になっていました。ホントに料理ができるようになってよかったとしみじみ思います。)、残りの時間は勉強に費やすようになっていました。夜も毎晩ファミレスに出かけていき、母子家庭にしてしまっていました。内心、「夫失格」、「父親失格」だなとは思ってはいたものの、もはや気持ちの余裕がなくなっていました。
答練や市販模試では高得点を連発していました。そんなところに痛ーいお灸を据えられます。10月の3連休の中日にまた某大手予備校の全国模試を受けました。問題は今まで見たこともないくらい分量が多く、しかも難しく至るところにトラップが仕掛けられていて、完全にペースを乱されて出来るべき問題まで落としてしまい、合格点を20点近くも割ってしまいました。予備校の講評では本試験よりも難しい問題なので、たとえボーダーを割ってしまっても気にすることはありませんと言っていましたが、このショックはかなり大きいものでした。
この模試で、いくら勉強しても分からない難しい問題は必ず相当数出題されるものだということを思い知りました。難しい問題が出た場合にどう対処すべきかを学べるよい機会だったと思います。その後2週連続で日曜日に別の大手予備校の全国模試を受験、いずれも合格点はとれたものの、一般知識が足切りギリギリだったり、商法で全問×だったりするなど、課題が多く残り、いよいよ本当の直前期を迎えます。
勉強を開始して5か月、だいぶ知識も定着しつつありましたが、相変わらず忘却との闘いの日々でした。とにかく忘れる分量よりもインプットする分量を多くするしかありません。あとはこぼれおちて行くのを少しでも食い止めるべく、ひたすら反復することに努めました。もうこれくらいでいいやと思った時点で合格へのキップは自分の手から滑り落ちてしまいますから…、それは今までの受験で痛感していることですから…。
10月22日、ついに受験票が郵送されてきました。会場は希望通り青学相模原キャンパス。6月に受験した漢検が思わぬことに行政書士試験の下見代わりになりました。志願者数は88,000人超、例年通りであれば合格者数は数千人ということを考えると極めて厳しい状況だと言わざるをえません。今年度はかなり難化するということをどこの予備校でも予想していることは知っていましたが、その上、今年度の試験問題冊子が昨年の2割増のボリュームになるという情報がかなり確かな筋から漏れ聞こえてきました。難しい上に時間的にも厳しいとは…。この対策も必要だと感じて、まだ残っていた市販模試を3時間でやるところを2時間半でやってみたりしました。
本試験50日前に立てた学習計画が1週間前倒しで終了したため、本試験までの2週間の直前期計画を立てました。その中に条文の通読(読み込み)を日々入れることにしました。このタイミングまで敢えて積極的にはやらずに、最後の伸びしろとしてとっておいたものです。行政書士試験では、法律的な論理的思考が必要とされるのは言うまでもありませんが、それ以上に条文の細かい知識を問う問題がかなり出題されます。この追い込みの時期に、憲法、行政手続法、行政不服審査法、行政事件訴訟法、地方自治法、民法、個人情報保護法、行政機関個人情報保護法、情報公開法などの通読を毎日必ず少しずつでも時間をとってやることはかなり効果的なことだと思ってのことです。また、問題を解く感覚を鈍らせては何にもならないので、全部で22回受験した模試・答練の復習、合格道場の練習問題の誤答問を中心にやりました。
この時点で、自分が合格圏内に入っているという自信はありましたが、努力した分だけ不安は募るというもの、勉強し続けることだけが自分の精神状態を支えているようでした。
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