ピアノ

Piano

子供の頃、何も取り得がなかった中で歌だけは上手だったらしく、保育園児のときにヤマハ音楽教室の幼児科に入ったのが音楽との出会い。家には母のピアノがあったのでエレクトーンではなくピアノで練習していました。幼児科修了後、小学2年生までヤマハ音楽教室のアンサンブルコースにも行き、その後はピアノの個人レッスンに行き始めました。早く音楽を始めたおかげで私には絶対音感があります。音楽をやる上で不可欠なものではありませんが…。

やはり男の子だけに、ピアノの練習を真面目にやるわけもなく、外で遊んでいるほうがずっと楽しく、男の子でピアノを弾くなんて格好悪いと思っていたこともあり、毎日30分の練習が苦痛でたまりませんでした…。楽譜も読めなかったのか読む気がなかったのか、曲を聴かないと弾けないという有様。ある意味、耳だけで覚えて弾くというのは、それはそれですごいことかもしれませんけど…。何とか小学6年生のピアノの発表会まではレッスンを続け、中学受験の塾が忙しくなってきて、それを口実にようやくピアノを辞めました。

そして3年余りが過ぎて、学校の行事でアメリカへホームステイに行きました。フェアウェル・パーティーでみんな何か一芸をすることになっていて、私は下手くそなクラリネットを演奏しました。そんな中、ピアノ独奏でまずまずの演奏を披露した人が2人いたんです。「へぇー、男でピアノ弾けるのって格好いいな」と価値観がひっくり返って、すぐにまたレッスンに通い始めることになったんです。

さすがに、今回は自分で進んで習いに行っただけに一生懸命練習したもんです。小学生の時はお母さん先生に習っていて、今回は桐朋音大卒のお姉さん先生(お母さん先生の娘)に習いました。音楽を楽しんでいる私の気持ちを汲んでくれて、エチュード(練習曲)はほどほどにして、少し上のレベルの曲を弾かせてくれました。高校1年生の発表会の時にはショパンの「軍隊ポロネーズ」を弾き、その後もショパン、ベートーヴェン、モーツァルト、ドビュッシー、シューベルトetc.の曲を弾きました。マルをもらうと私から次はこれが弾きたいと希望を伝えて、その場でサラサラとお手本で弾いてくれて(なかなかぜいたくですよね)、私の実力+αの曲を程よく選んでくれました。この頃はピアノを弾くのが楽しくて仕方がなく、大学受験が目前に迫ってきてもレッスンをやめませんでした。最高の気分転換のアイテムだったというわけです。

無事に大学に現役で合格して、キャンパスライフを謳歌しながらも、レッスン通いは続いていました。祖父は大学の合格祝いにピアノを買ってくれました。ようやくお下がりではなく自分のピアノを持つことができたわけですが、今思うとずいぶん豪華なお祝いですよね。それにもかかわらず、次第にオケの活動が忙しくなってきて、ショパンの「別れの曲」を練習している途中で両立ができなくなり、レッスンをやめざるを得なくなってしまいました。

その後は、暇を見つけては時々ピアノを弾いていましたが、だんだん弾けなくなってくるとますます面白くなくなり、次第にピアノから遠ざかっていきました。そして、結婚して狭い官舎に住むことになりましたので、ピアノを持っていくことは到底できません。ついに実家のインテリアに成り下がってしまいました…。それから2年半後にマンション購入を果たし、弾くわけでもありませんでしたが、あくまでも私が祖父からもらったピアノですので、実家から引き取ることにしました。

そのまま、誰にもほとんど弾かれることなく無用の長物と化していましたが、ゆーたんが年中さんの時にヤマハ音楽教室に通い始めることになり、ついに出番です。それにあたって、久々に調律をして、現役復帰となりました。アップライトピアノとしてはかなり高価なピアノなので、このままゆーたんがちゃんとピアノを続けていってほしいと思っています。

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