浅田次郎「終わらざる夏」(上)・(下)


読了日:2010/12/03(上)・2010/12/10(下)
個人的評価:★★★☆☆
「小説すばる」連載 467ページ・458ページ(集英社・2010/07/10)

<あらすじ>

1945年8月15日――戦争が、始まる。

稀代のストーリーテラーが挑んだ物語の舞台は、玉音放送後に北の孤島・占守島で起きた「知られざる戦い」。日本を揺るがす新たな戦争巨編、ここに誕生"


「占守=美しい島」で起こった悲惨な戦いを通じ、戦争の真の恐ろしさ、生きることの素晴らしさをうったえる感動巨編。終戦65周年の夏、誰も読んだことのない、新たな戦争文学が誕生します。

西洋文化あふれる華やかな東京の翻訳出版社に勤める片岡は、いずれ妻とひとり息子とともにアメリカへ移住するのが夢だった。しかし、第2次大戦開戦により息子・譲を疎開し、片岡は妻・久子と東京に残ることに。理不尽な言論統制下で、いつかは人間本来の生の美しさを描いたヘンリー・ミラーの『セクサス』を翻訳出版するのだと強い信念を抱いていた。

そんな彼に、赤紙が届く。陸海軍の精鋭部隊が残留している北海道北部の占守島に米軍上陸の危機が噂されるなか、大本営の作戦本部は、敗戦を予見していた。そこで、米軍との和平交渉の通訳要員として、秘密裏に片岡を占守に運ぶ作戦が立てられたのだ。粉飾のため、2人の「特業」要員も召集された。地元・盛岡の貧しい人々のため働いてきた志高き医学生の菊池、熱河作戦と北支戦線の軍神と崇められた車両運転要員の鬼熊である。

上巻では、3人の占守島への旅を軸に、焼け野原の東京、譲の疎開先、鬼熊らの地元・盛岡の農村など、様々な場所でのそれぞれの「戦争」を、多視点で重層的に描いていく。

千島列島の孤島・占守島は、短い夏を迎えていた。女子挺身隊として占守島の缶詰工場で働く女子高生たちは、函館に帰る日を待ち望みながら日々を過ごしている。一方、片岡、菊池、鬼熊らも難儀したすえに占守島に到着。そこで3人は、日本が和平に向かっていることを大本営参謀から教えられる。片岡は妻に宛てた手紙で、戦争の真の恐ろしさについて語り、和平を成功させ、平和な世で『セクサス』を出版する決意を綴る。しかし、占守に侵攻しつつあるのは米軍ではなく、ソ連軍であった…。

同じ頃、父の徴兵を知らされた譲は、疎開先の少女とともに、宿舎を脱走し東京を目指す。途中、空腹と疲労で極限状態の2人の前に現れた金髪碧眼の少年はパンを恵んでくれた。その少年は、占守へ侵攻中のソ連兵の昔の姿であった。

人間本来の温かな交流を織り交ぜつつ、物語は玉音放送を迎える。しかし、その翌日、占守にソ連軍が侵攻。凄惨な戦闘となる。せめて缶詰工場の女子高生たちは無事に北海道本島へ送還しようと、中尉たちは決起し…。

日ソ双方に多くの犠牲者を出し、占守島の戦いはついに収束する。残った日本兵はシベリアに連行された。肉体的にも精神的に厳しい生活に、菊池は生きる望みを失いかけるが…。



<たーやんの独断的評価>

本作品は試験勉強中から読みたいと思っていたので、試験が終わる頃を見越して7月に予約をかけてようやく手元にきた浅田次郎氏の時代モノです。浅田氏の時代モノでは清朝末期から中華民国の時代の中国を舞台にした作品(「蒼穹の昴」、「珍妃の井戸」、「中原の虹」、最新作「マンチュリアン・リポート」)に定評がありますが、戦中・戦後の作品もとてもいいです。「日輪の遺産」などはおススメです。

北の最果ての島で終戦直後に”戦争が始まった”ことはご存じでしょうか。ソ連が不可侵条約を破棄して満州や樺太に侵攻したことは歴史上有名な事実として多くの人に知られていますが、千島列島の最北端の占守島(シュムシュ島=クリルアイヌ語の”シーモシリ”が訛ったもので意味は「美しき島」)で、日本が無条件降伏を受諾した後に、ソ連軍との間で救われない戦いが始まったことはあまりよく知られた事実ではないと思います。占守島の名前は、榎本武揚が締結した「千島・樺太交換条約」のくだりで大学受験の日本史で覚えた記憶がありますが、こういう戦闘があったことは初めて知りました。

年限目前で召集された翻訳家・片岡、伝説上の鬼軍曹・熊吉、軍医の見習士官・菊池、関東軍の戦車部隊の将校・大屋、戦車少年兵・中村、日魯漁業の社員・森本、動員されてきた女学生たち、上陸作戦に参加することになるソ連軍将校など占守島にそれぞれの任務を帯びて集まってくる人たち、片岡の妻・久子や鬼熊の出身である岩手で赤紙を届ける兵事係等の銃後を守る人々、集団疎開した片岡の息子・譲と取り巻く人々、などさまざまな視点から太平洋戦争末期の日本、世界の様子が描かれながらストーリーは展開していきます。

この占守島の戦いは日ソ両軍にとって救いのない戦いでした。日本にとっては、無条件降伏してようやく平和が訪れようとしているところにまさかの起こるはずのない戦闘、日本軍はやむを得ず戦いを強いられることになります。しかし、この島を守る日本軍にはまだ十分に戦闘能力があり(注)、ソ連軍にも甚大な被害が出ます(負け戦が続いていた終戦末期以降で日本軍が唯一”勝利”した戦いと言われている)。

実はそれこそがスターリンの狙いだったわけです。ソ連にとって千島列島(クリル諸島)はオホーツク海と太平洋とを隔てる軍事的に極めて重要な拠点でした。だからアメリカが戦後処理で占領してくる前に実効上おさえておき、戦後の領土問題を有利に進めたいという肚がありました。侵攻する大義名分のためだけにここで多くの犠牲者を敢えて出させたというわけです。ソ連軍の将校・下士官たちもそのことを知っていても戦わざるを得ませんでした。

という感じで、これだけ見ると是非とも読んでみたくなるような題材なのですが…、クライマックスには失望させられました。ストーリーのあらすじは上記にありますので、ここでは割愛します。

どういう意図があるのか分かりませんが、クライマックスであるはずの戦いのシーンに割かれているのは50ページに過ぎず、しかもソ連側の戦闘詳報や将校等のモノローグとして描かれているため、記録形式で描かれていたり、日本軍側の兵士は無名の兵士として描かれているため、個人的には分かりづらい上に物足りなかったです、あまりにも淡々としていて…。また、片岡の家族をソ連軍将校の夢の中に登場させて無理やり関連づけるなど、荒唐無稽な設定が多く、がっかりさせられます。さらにエピローグとして片岡が方面軍参謀・吉江に託した「セクサス」の翻訳原稿とストーリーの流れとがどういう関係にあるのかも意味不明です。

ただ、下巻の400ページまではよくできた小説で、読み応えのあるすばらしい作品だと思えることでしょう。結末にミソがついたということで★×3にしました。

注:1943年にアリューシャン列島にあるアッツ島が玉砕して、米軍の侵攻に備えて満州にいた関東軍の精鋭部隊が千島列島の最北端の島へと引き抜かれ、その後南方戦線で船舶が次々と沈められたため、転進させることすらできず、終戦まで無傷のまま残っていた